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アマチュア無線の世界

船舶通信室時計

マリンクロックとかシップクロックとか言うようだが、ようやく手に入れた。大昔、大阪勤務の頃、週末に出かけた和歌山の日帰り温泉の脱衣場に掛けてあったのを覚えている。その時からずっと欲しかったものである。
それにしても知らない人は変なデザインだなと思うことだろう。15分と45分からそれぞれ3分間、赤く塗られている。船舶のモールス通信が必須だった平成11年頃まで世界中の全ての船舶は500kHzを常時聴取する義務があった。SOSとかが混信で聞こえないことのないように、誰も送信せず受信していた「第一沈黙時間」というものを表している。0分と30分の緑色のところは第二沈黙時間である。
我が無線室にもいつかはと思っていたのだが、なかなか売ってない。海外の小さ目のインテリアっぽい時計なんかはあってもSEIKOとかの普通の奴が手に入らなかった。
SEIKOの子会社のカタログには載っているがいわゆる親時計から一斉に制御する子時計だった。そこで、大昔のバスに付いてたバスクロックとしても未だに根強い人気のあるSEIKOのKS-474Mを購入して自分で色を塗ることにした。
赤と緑のラッカースプレーを買いに行くと、デカいのしかなく、どうせ少ししか使わないんだしもったいないなと悩んでいたら、絵の具のデカいのみたいのがあったのでこれで筆で塗ることにした。
幅広のビニールテープでマスキングして塗り塗りしたのだが、予想以上にとんでShip_clockもなく滲んでしまった。やっぱりスプレーでなければならなかった。少し前ならこれでは絶対にNGで買い直してやり直すくらいのレベルなのに、寄る年波のせいか、まぁいいや、遠くに掛けとけば分かんないだろうっていうことにして無事に無線室に掛けられた。私は技術士で通信士ではないのだが、やっぱり無線室にはコレである。と遠目に見てニヤニヤしている。

QSOパーティ

QSOパーティは、開局の翌年から12年間連続で参加して十二支のシールを集めて1989年に完成して盾をもらっている。それからも毎年参加しているものの、ログの提出はしてこなかった。
昨年12月に引っ越しして固定局の無線設備も整備して免許の変更申請も済んだことから、心機一転もう12年のスタートを切ったところである。
ものすごい久し振りに大昔のコンテスト申請用紙を探して記入してみる。昔の書類なのでB5判だが今はA4判だよなぁ、気になってB5からA4へ拡大コピーして記入する。
当時はメールの電子申請なんかも無かった。手書きの申請も大変だったがビッグコンテストでは事務局側もさぞ大変だっただろう。
ゼロクリアして今年から地道にAJD、WAJA、JCC、JCGを集めて行こうと思う。

QSOパーティー2016

今年もQSOパーティーで年が明けた。いつもの山の上に出かける。昨年は例年になく雪が多く、チェーン規制で有料道路の料金所で止められUターンしたものだが、今年は異常に暖かい。下界では17~18℃と言うから4月上旬の陽気である。山の道路も雪はおろか凍っているところもなく順調である。
2016_fuji_2山頂は思いのほか風が強く、アンテナを建てるのを断念してクルマについてるモービルホイップで運用する。風が強いからか雲は飛んでしまい真っ青な空が広がっている。目の前の富士山にかかる雲もないが、なにしろ雪が少なすぎる。正月の富士山でこんなに雪がないのを見るのは初めてである。
山を下り、混んでるのを覚悟の上、麓の温泉に寄る。行き慣れたいつもの温泉でゆっくりと今年初の汗を流した。

無線機よお前もか

クルマのように無線機もいつの間にかコンピュータ制御になってしまった。ガチャガチャ回すツマミはなくなってボタンだらけのつまらない顔になっている。動いている感じが唯一残っていたメーターも液晶になってしまって久しい。
無線Ts590s_update機の搭載のファームウェアの更新がある旨のニュースはどうだろう、もう2年前くらいに知っていたが面倒なのでそのままになっていた。なんでも無線機とパソコンをUSBケーブルでつないでアップデートするのだそうだ。なんともヘンな時代になったものだ。無線機にWi-FiやBluetoothがついていれば日々勝手にアップデートするのだろう。
年末の休みに思い立ってUSBケーブルを接続する。3分もかからずVer.1.05から2.02にアップデートできた。
作業はなんて事なかったが、無線機よお前もかという気分である。

JARL創立90周年ハムフェア2015

個人としては、8年振りにハムフェアに行ってきた。東京出張も以前に比べれば格段に減り、久し振りの東京になる。知らないうちに路線が伸びていたり、東京を通過してえらく遠くから遠くまでの行先が表示されたりしている。やっぱり2ヶ月に1回くらいは東京に行かないと、世の中から取り残されてしまうような気がする。
今年は、日本アマチュア無線連盟(JARL)創立90周年の記念イベントだったからか海外からの招待客が多くいたのかな、イメージよりもすごく混んでいて、猛暑と相まってかなり参ってしまった。
学生時代の無線仲間3人と合流したが、中には20年振りに会う者もいた。
夜はちょっとした同窓会になったのだが、みんな昔の話を思ったより覚えているものだ。周りに気を遣う事も無く、ピンポイントでマニアックな会話全開で新橋の短い夜はふけて行った。
下りの新幹線に乗ると憂鬱になるのはいつもと変わらない、このまま東京に居たいと思いながら都を後にした。

オールJA in Rodge

毎年恒例のオールJAコンテストにいつもの仲間で参加した。コンテストの日程が、旧天皇誕生日から最終土日に変更されて久しいが、今年はカレンダー都合で結構早めの開催であるため、GWという雰囲気がまだ醸成されてないタイミングでの開催で準備が不十分なまま突入した。P1000865
固定メンバーも高齢化が進み、この季節の山の上は結構寒い上に、腰痛などから車中泊がキツくなってきていたことと、メンバー全員が胃腸が弱くトイレは重大な問題になっていたことも踏まえて、今回初めてのロッジでの運用となった。
部屋には、エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、IH調理器、二段ベッドなど十分な設備がある部屋の中で、そもそも普通に電気がある状態での運用は一味も二味も違ったものとなった。坂道を徒歩10分を我慢すればシャワーもあった。
アンテナは長尺のワイヤー系が張れないのが痛いところだが、それでも現地合わせでなんとか3.5/7/14/21/50MHzの設備を用意する。各モービルにバンドがくくりつけになってしまう車中運用と違って、TVを見ながらの宴会と気が向いたバンドでのコンテスト参加は病み付きになりそうである。

全市全郡コンテスト

3連休で、コンテストで移動するにはうってつけのカレンダーだったが、メンバーが揃わず今回は流れていた。元々台風が来てたので危ないからやめておこうという事になりかねなかった。
久し振りに固定局からコンテストに参加するも、家ではコンテストに集中できる訳もなく、昼間~夕方の14MHzで適当に楽しんだ。夜は国内がスキップして聞こえなくなるまで7MHzで時間の許す限りQSOする。しかし、21MHzや28MHzが聞こえなかったのが残念である。
全市全郡コンテストの前身のオールシティコンテストは、当局が初めて1日にログ1頁以上QSOしたオペレーションに慣れるきっかけとなったコンテストである。当時はこの時期はもっと涼しかったように思う。
それにしても599001SHIGAI10などのコンテストナンバーに比べれば随分ラクになったものだ。でも、市や郡でによってコンテストナンバーの桁数が分からないので、ちょっとドキドキするのも懐かしい。

オールJA

年度がかわって相変わらずのバタバタで息切れするも何も4月の頭からフラフラである。もうすぐGWだ、あと何日でGWだというような気分にすらなれないでいた。でも、もうすぐオールJAだと言うと少し話は変わる。
オールJAと言えば昔は天皇誕生日の前日の21時スタートだったので、連休の具合によっては参加が難しいこともあったのだが、4月の最終土日に変更になってからは参加しやすいものの月曜が休みでないと遠距離の移動運用は現実的でなかった。今年の休みはいまいちの並びであったのだが、オールJAのためならといろんな事が我慢できる。 GW前半は天気にも恵まれ、暖かすぎでもやっていて富士山がくっきりとはいかなかった。メンバーも寄る年波の14allja_9せいか、アルコールも弱くなって、クルマの中での一泊もキツくなってきた。次回からはロッジを 借りようかと帰り道に本気で下見をしたくらいである。 初夏の海を見下ろせる山道は実に気持ちいい。バイクのツーリングの季節の到来である。コンテスト中もひっきりなしに バイク軍団が走り去っていく。その中に10年以上前に一緒に仕事をしていた先輩がいた。私がアマチュア無線ををやって たことを覚えていた先輩は怪しいアンテナを見てふとバイクのスピードを落としたそうだ。後日、先輩から「ひょっとしてと 思ったがこんな遠くまで来てる訳ないよな」と思い走り去ったとメールが来た。その山道に行くルートは、大昔先輩と一 緒に営業活動のノルマのためにクルマで走ったことのあるところ。私もその先輩のことを頭がよぎっていた。
何かの虫の知らせだったのだろうか。メールでそのうちの再会を約束した。

QSOパーティー2014

年明けから暖かい日が続く。風もなく穏やかだが、海からの暖かい湿った空気のせいで富士山に雲がかかり始める。年末の寒い時期は富士山もくっきりと見えていた。
いつものように1月2日の朝に毎年の恒例のQSOパーティーに参加するために伊豆スカイラインへ向かう。年によっては雪や凍結が心配されるのだが、例年になく暖かい。その分富士山には雲がかかる可能性が高く、陽が高くなるのを気にしながら山に登る。予想通り、雲がどんどん湧いてきている。
山の上は風が強く、思ったより激寒で、アンテナの設営をする気にならず、ホイップでHFの電波を出してモールス信号で新年の挨拶をする。
正面の富士山にかかる雲が通り過ぎるのを、寒い中カメラを持って待っているも、どんどん雲がかかってくる。右には相模湾、晴れていれば三浦半島は当然ながら、房総半島が見える時もある。左手には駿河湾。

P1000760小高い丘の上にある羅針盤を見ながら方向を確かめるも景色はいまいちなのである。
今年は前方の視界良好と行きたいところである。

フィールドデー

いつもの西伊豆スカイラインで、フィールドデーコンテストに参加した。週間天気予報でも特段、心配していなかったのだが、遠くの山が雲に隠れていて少し不安になる。周辺の地域でもここだけピンポイントで曇っている感があり、若干の不安を抱きながら山を登る。Dsc_0015_3

カンカン照りでない方が体的にはラクかとも思ったが、50MHzの2エレキュービカルクワッドを上げるだけで汗だくになってしまう。今回は人数も少なく、ハデなBBQも用意してないのでこじんまりとしているが、とりあえず昼間っから飲む。山の上を渡る風は時に心地よく、いつもは聞けないエリアのFMや羽田空港の航空無線などを聞きながらちょっとした宴会になる。
翌日も一時の雨を除けば天気にも恵まれ、穏やかな移動運用となった。
空の方は2日間に渡って富士山は一度も拝めなかったが、2日目の昼前に28MHzでEスポが出てJA8がオープンした。毎回ドキドキするEスポだが、JA6がオープンして欲しかった。

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